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【日本一周の記録】8日目 被災地をめぐる

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2013年8月12日(月)

ホテルでの朝食。写真を見ると、なぜか部屋で食べているが、食堂が無いホテルだったのかな。特筆すべきは、バナナを食べている点。フルーツ全般が苦手で、好んで食べるのはりんごくらい。中でもバナナは苦手な方だが、朝食に出されたので頑張って食べたのだと思うが、剥いたバナナを撮っているあたり、当時の私もだいぶ頑張ったんだろうwww

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ホテルをチェックアウトして駐輪場に向かうと、新型のVTRが停まっていた。FI化されたVTRの発売は2009年だったと思うので、2013年の当時でも発売から4年が経っており、既に新型と呼ぶほど新しくも無かったが、キャブのVTRに乗っていた身としては、今でもFIのVTRを見ると新型VTRと呼んでしまう。そんなVTRも既に生産終了…時代を感じるぜまったく。

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東北地方に入ったとはいえ、ここはまだ福島の南端。北海道はまだまだ遠い。まずは海側へ出たいと思ったが、ここから東に走って海側へ出てしまうと、福島原発周辺の立入禁止区域にぶつかってしまい、迂回しなくてはならない。そのため、立入禁止区域の北側の海岸沿いへ出るべく、国道を離れ県道を走った。

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道の駅ひらたで休憩。
当時放送していたNHK大河、八重の桜のポスターが貼ってあった。


そしてずっと先送りにしていた問題、荷物の不安定さに終止符を打つべくホームセンターに立ち寄る。ここで荷締めベルトなどを購入し荷物を積み直したことで、旅立ち以来の悩みの種だったパッキングが大きく改善した。

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道の駅 南相馬までやってきた。震災の時、何度もニュースで聞いた地名だ。ここからわずか1~2km南は立入禁止区域に指定されている(現在は解除)。国道6号線沿いに位置するこの道の駅は、海からもかなり近いはずだが、津波の爪痕のようなものは見られず、普通の街並みであった。ちょうど昼時だったため、昼飯どうしようかな、なんて考えていたら、地元の方(?)らしきおじさんに声をかけられた。大阪からバイクで来ていることを話すと、昼ご飯をごちそうしてくれた。山菜そばが美味しいとのことで、それをいただく。

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ごちそうになった山菜そば。かき揚げの下にも山菜がたっぷり入っていて美味。

そばを食べながら、震災の時の様子などを話してくれた。こちらからは聞きづらく、また詮索するような話でも無かったし、そもそも遊び半分で被災地に行って良かったのだろうか、という意識すらあったため、こんなに優しく接してくれることが嬉しかった。


おじさんに別れを告げて、海岸沿いに向かうと、景色が一変した。これまで普通の街並みだった景色が、一気にただの原っぱに様変わりした。最初はただ景色が変わっただけだと思っていたが、未だ撤去されていない瓦礫があり、津波が直撃したエリアだと悟った。


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入口や窓などがすべて壊れた建物。右端には壊れた車もある

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根元から折れ曲がった標識

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どこかに繋がっていたであろう橋。歪に曲がったガードレールだけが橋の存在を示している。
震災の前はどんな景色だったのだろう。初めから何も無かったと思いたい。



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あちこちに通行止めの標識。震災から2年半が経過してなお、手付かずの道路も多かった。

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通行止めの看板の下に置かれていた、泥だらけのぬいぐるみ。
誰かが置いていったんだろうか。心をしめつけられる思いだった。


津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた一方で、比較的海が近い国道6号線に戻ると、意外なほど普通の街並みが続いていた。その対照的な景色が、自分の住む大阪と何ら変わらない景色が一瞬にして流されてしまったのだという事実を静かに語っていた。すっかり写真を撮る気も失せてしまい、カメラをバッグにしまいこみ、仙台へ向けて走り続けたのだった。



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